板津建築事務所は、昭和36年の創業以来60年近くの年月にわたり、札幌市南区澄川の地域に密着した事業を行っています。ここでは会社の沿革を私たちの地元、澄川地区の発展の歴史を織りまぜてご紹介します。
「澄川」の名前の由来は清澄な精進川の流れによるとされています。開拓以来稲作、りんごなどの果樹を主とする農村風景が広がるのどかな地域でした。札幌と定山渓を結ぶ定山渓鉄道が村の中央を貫き、駅の開設とともに人口が増え札幌への通勤者も増えていきます。
1960~1970年 この時期米作農家、りんご農家が広がる牧歌的雰囲気の澄川にも高度経済成長の到来により宅地化が進んでいきます。 当社が現在地において建築設計施工の事業所を始めた頃にはうるさいほど聞こえた蛙の声も徐々に聞かれなくなっていきます。
1970~1980年 1972年の札幌オリンピック開催の前後を節目に澄川は劇的に発展を遂げます。定山渓鉄道が廃止され跡地を利用して市営地下鉄が開業します。宅地の開発が急速に進みりんご園など開拓時代からの農村風景も失われました。当社が法人化により事業所としての基盤を形成した頃です。
1980~1995年 経済の発展、過熱とともに澄川地区にはマンション、アパートの建設が目立つようになります。地下鉄の澄川駅の周辺は飲食店が集積し、小学校も3校に増え、若者が目立つ街になって来ました。 当社はいわゆるバブルとは無縁に地域密着をベースに堅実に事業を推移させてきました。
1995年~現在 95年に設計部門を併設して現在に至ります。住宅を中心とした設計監理への取り組みで高品質のデザインワークを提供してきました。 澄川では駅前広場を中心に街の顔が少しずつ見えるようになりました。一方で成熟期を迎えた街では老人世帯の増加を感じます。多世代での共生など時代の変化を意識した街づくりを目指す時が来ています。